<学級の問題>を<世間観の問題>と捉える視点
学級で起きる問題。
でも、それは、「学級内だけで起きている」わけではありません。
学級内で起きている問題の解決を考えるなら、その問題を様々な角度からとらえる必要があります。でも、いざ問題が起こると、冷静に分析するのは難しい。だからこそ、普段の生活の中で自分を磨き、分析するために必要な<学び>の蓄積をしながら、目の前の様子を見ていくよう心懸けたいです。
鴻上尚史さんの『空気と世間』 (2009年講談社)を読みました。
わたしがこの本にたどり着いたのは、『スクールカーストの正体: キレイゴト抜きのいじめ対応 』の中に紹介されていたからです。
スクールカーストの正体: キレイゴト抜きのいじめ対応 (小学館新書)
- 作者: 堀裕嗣
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2015/10/01
- メディア: 新書
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まず、教師としての私が、手に取ることをオススメしたいのは、後者です。
とても読みやすい文体で、しかも、とても想像しやすい展開で書かれています。
この本を読んでいくと、<学級の問題>を考えるときに、その背後に目をやる必要性に気づきます。
背後には様々な問題がありますが、そのアプローチの1つが<世間の問題>です。
今まで私自身が経験した問題の中でもそうでした。なんていうか、一つの問題が生じたときに、それを解決しようとすると、個人の捉え方、社会の捉え方、甘えの度合いなど、様々な要素にぶつかります。
保護者にしても子どもにしても教師にしても、その人が「個人」としてどの程度自立しているか、自立することを求めているかという部分がとても大きいです。
日本の今までの公立小学校は、「安定」とか「安心」といったときに、同質性を基盤としてきたように感じています。
でも今時代は、多様性を基にするよう求めている気がします。
そして、「多様性を基にしたときにどのような安定・安心がありうるか」を教師は考えていく必要があります。同質性を基にしたときの安定・安心のあり方と、多様性や異質性を基にしたときの安定・安心の捉え方は違うと思うのです。
<世間の問題>は日本人が、「安定」とか「安心」といった物を求めたときの知恵の現れと見ることができます。
だからこそ、この知恵の特徴をしっかりおさえておかないと、「多様性」を基板に据えることが難しいです。
教師は、目の前で子どもの問題が起こると、どうしてもそのことに集中して、幅広くとらえることが難しくなります。だからこそ、普段の中で、「学級」のなかで起こっていることを、客観的にとらえたいです。そして、客観的に捉えるためにも、新しい視点から目の前で起こっていることを眺めてみることが求められます。
その上で、バカなことをやったり、楽しい雰囲気を創るようにするわけですが、学級担任のつくる楽しさは、学級の冷静な分析・理解の上で創り上げたいものです。
学級内の問題を解決できるかどうかは、初動が大事。
でも、適切に動けるかどうかは、普段から適切に分析できているかによります。